出石の城下町ポタリング完全ガイド、皿そばと但馬の小京都巡り

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兵庫県豊岡市の出石は、江戸時代の城下町の町割りがほぼそのまま残り、「但馬の小京都」と呼ばれる町です。中心部は坂の少ない平坦な地形で、レンタサイクルを使った「ポタリング」に向いており、名物の出石皿そばを食べ比べながら半日から一日で城下町を一周できます。歴史的な建物と焼き物の窯元、そば処が徒歩圏に凝縮されているのが出石の特徴です。この記事では、出石城下町の成り立ちから、ポタリングの具体的なコース、出石皿そばの食べ方、出石焼や但馬牛といったグルメ情報、アクセス方法までをまとめます。

目次

出石が「但馬の小京都」と呼ばれるのは江戸期の町割りが今も残っているから

出石は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された城下町です。碁盤目状に整備された道と、江戸・明治・大正の建物が混在しながらも調和した町並みが評価されての選定で、こうした城下町としての保存地区は全国でも数が限られています。重要伝統的建造物群保存地区の制度自体は、2024年8月時点で43都道府県106市区町村の129地区に広がっており、宿場町や寺町、漁村集落なども含まれます。そのなかで出石のような城下町の保存地区は一部にとどまるため、碁盤目状の町割りをほぼそのまま歩ける点は出石の強みだといえます。町を歩くだけで、時代の異なる建築が重なり合っているのが分かります。

出石が位置する但馬地域は、山陰海岸ユネスコ世界ジオパークのエリアにも含まれています。ジオパークは地質遺産を保護しながら観光や教育に活かす仕組みで、但馬海岸には玄武洞や香住海岸など、地殻変動や海蝕によって生まれたリアス海岸の景観が点在します。出石は海岸部からは少し内陸に入った盆地の町ですが、同じ但馬地域の一部として、山と海の異なる自然景観をあわせて楽しむ旅程を組む人もいます。

出石を含む豊岡市は、コウノトリの野生復帰に取り組んできた地域としても知られています。日本の野生コウノトリは1971年に一度姿を消しましたが、豊岡市では2005年に放鳥が始まり、2022年には野外で暮らすコウノトリの数が300羽を超えました。市内にある兵庫県立コウノトリの郷公園では観察施設が整備されており、出石の城下町散策とあわせて立ち寄る旅行者もいます。城下町の歴史とコウノトリの野生復帰という、時代の異なる二つの取り組みが同じ豊岡市の中に共存しているのは、この地域らしい特徴だと思います。

出石の起源は室町幕府で四職の一角を担った守護大名、山名氏にさかのぼります。山名氏は南北朝時代から戦国時代にかけて但馬国を治め、明徳の乱や応仁の乱でも中心的な役割を果たした一族です。もともとは此隅山城を本拠としていましたが、永禄12年(1569年)に織田信長・豊臣秀吉方の攻撃を受けて落城し、天正2年(1574年)、当主の山名祐豊が有子山に新たな城を築きました。落城した「此隅」の名を避けて「有子山」の名を選んだと伝わっています。有子山城跡は現在国の史跡で、標高321メートルの山頂に石垣が残り、登山愛好家からも「獅子の山城」として親しまれています。

出石盆地の東端には、但馬国一宮とされる出石神社があります。主祭神は伊豆志八前大神と天日槍命で、『古事記』や『日本書紀』に記される渡来伝説の中心地です。天日槍は新羅の王子で、妻を追って日本へ渡り、円山川河口の岩を切り開いて但馬の平野をつくったという伝承が残っています。事実かどうかを確かめるすべはありませんが、出石の人々はこの神社を開拓神として長く祀ってきました。山名氏が本拠を有子山城へ移したことで、出石神社の門前に広がっていた集落を核に、現在の町の原型ができていったとされています。

城下町とは、そもそも領主の居城を中心に成立した都市の形態を指す言葉です。江戸時代の城下町では、町人が住む一帯に間口が狭く奥行きの長い「うなぎの寝床」と呼ばれる建物が並び、外側には有事の前線基地となる寺町が配置されるのが一般的な構造でした。現在の日本で人口10万人を超える都市の約半数は、もともと城下町だったといわれており、出石のように江戸期の町割りがそのまま残る例はむしろ珍しい部類に入ります。

慶長9年(1604年)には、小出吉英が有子山の麓に出石城を築きました。以後、城主は小出氏、松平氏、仙石氏と代わりながら、明治の版籍奉還まで270年にわたり五万八千石の本城として続きました。出石城の見どころは、最上段の有子山稲荷神社からの展望です。野面積みの石垣が残る石段を登ると城下が一望でき、参道には37基の朱色の鳥居が連なっています。本丸跡には仙石家の始祖・仙石秀久を祀る感応殿もあります。

出石藩の歴史には、天保5年(1834年)の仙石騒動という出来事も刻まれています。藩の財政方針をめぐって家老の仙石左京と仙石造酒が対立し、最終的に江戸幕府の裁定で仙石左京が死罪となり、出石藩は五万八千石から三万石へ減らされました。城下町の穏やかな見た目の裏に、こうした藩政の緊張があったことは覚えておいてよいと思います。仙石家はその後も明治維新まで七代にわたり出石藩を治めました。この歴史を伝える出石史料館は、かつての豪商の旧邸宅を活用した建物で、仙石家の家紋があしらわれた甲冑などを展示しています。

出石のシンボルは、明治4年(1871年)に建てられた辰鼓楼です。当初は太鼓で時刻を知らせる櫓でしたが、明治14年に医師の池口忠恕が大時計を寄贈し、時計塔になりました。日本で二番目に古い時計塔とされ、現在も時を刻み続けています。もうひとつの見どころが出石永楽館で、明治34年(1901年)開館の近畿最古の芝居小屋です。昭和39年(1964年)に一度閉館しましたが、地元による約20年の復原活動を経て、平成20年(2008年)に大正期の姿で再開しました。廻り舞台や奈落、花道といった劇場機構を実際に見て回れます。

出石の城下町ポタリングは家老屋敷のレンタサイクルが起点

出石は観光スポットが中心部に集まっているため徒歩でも回れますが、より広い範囲を効率よく巡りたいなら自転車が向いています。レンタサイクルは出石城跡の目の前、観光センターに隣接する家老屋敷で借りられ、料金は2時間300円です。城下町は坂道が少なく平坦な地形が多いため、体力に自信がない人や子ども連れでも安心して走れます。

家老屋敷自体も、見ておきたい建物です。出石城内堀の近く、かつて上級武士が住んだ内町通りに面して建つこの屋敷は、出石城内に唯一残る江戸時代後期の武家屋敷で、平成2年に公開が始まりました。外観は平屋建てに見えますが、内部には隠し階段のある二階が仕込まれ、天井は刀を使いにくくするためか低く造られています。屋根上へ通じる通路もあり、不意の襲撃に備えた造りだといわれています。館内では仙石騒動の資料や、無形文化財の大名行列諸道具、有子山城・出石城の発掘品などを見学できます。

ポタリングのコースとしては、辰鼓楼を起点に城下町の通りを一周するルートが定番です。辰鼓楼から出石城跡、家老屋敷、出石永楽館、そば処が並ぶ通りを経て、さらに窯元が点在するエリアまで足を延ばせます。自転車なら徒歩より行動範囲が広がるので、中心部から少し離れた小さな社寺や、風情ある路地裏も見つけやすくなります。春は桜並木の下を、夏は出石川沿いを、秋は紅葉に彩られた有子山を背景に、冬は雪化粧した城下町をと、季節ごとに違う表情を楽しめるのもポタリングならではです。

レンタサイクルがあると、皿そばの名店巡りも動きやすくなります。出石には皿そばを提供する店が町内に約40店舗あり、徒歩だけで何軒もはしごするのは体力を使いますが、自転車なら少し距離のある店にも気軽に行けます。

そもそもポタリングという楽しみ方には、観光としての利点がいくつかあります。自転車での移動は徒歩よりも行動範囲が広がる一方、車と違って景色をゆっくり眺めながら進めるため、地元の文化や風景を再発見しやすいといわれています。国土交通省の資料でも、自転車はジョギングに比べて膝への負担が少なく、全身を使う有酸素運動として位置づけられています。出石のように歴史的な街並みが徒歩圏に集まった町は、自転車での移動そのものが観光体験の一部になりやすい場所だといえます。

出石皿そばは信州から伝わった技術で300年続く郷土料理

出石を訪れたら外せないのが名物の出石皿そばです。起源は江戸時代中期の宝永3年(1706年)にさかのぼります。信州上田藩主だった仙石政明が国替えで出石藩主となった際、信州から連れてきたそば職人が出石にそば打ちの技術をもたらしたのが始まりとされています。出石にはそれ以前からそば打ちの技術があったともいわれ、両者が融合して300年以上、職人の鍛錬と工夫によって発展してきました。

出石皿そばの特徴は提供スタイルにあります。直径約13センチメートルの小皿に一口サイズのそばが盛られ、5枚1組で一人前です。徳利からそば猪口につゆを注ぎ、卵やとろろ、刻みネギ、大根おろし、わさびといった薬味を好みで加えて食べます。出石焼の白い小皿の美しさを引き立てつつ、そばの喉ごしを楽しむための食べ方だといわれています。

町には約40店舗の皿そば店があり、なかでも近又や登城といった老舗がよく知られています。店ごとにそば粉の産地や打ち方、つゆの味わいが違うため、複数店舗を食べ比べると出石皿そばの幅の広さが分かります。多くの店では、そば粉を石臼で挽いたばかりの状態から打ち、茹でたてを提供する「三たて」と呼ばれる工程を大切にしているそうです。国産や地元産のそばの実を使い、出石の水でそばを打つことにこだわる店も少なくありません。出石観光センターでは、擬似通貨の永楽通宝が入った「出石皿そば巡り巾着セット」を2200円で販売しており、好きな3店舗を選んで食べ比べができます。初めて出石を訪れる人には、この巾着セットが便利です。

毎年春には「出石そば喰い大会」も開かれます。制限時間内にどれだけの皿数を食べられるかを競う催しで、県内外から参加者が集まります。出石皿そばは兵庫県の郷土料理として農林水産省の「うちの郷土料理」でも紹介されており、地域に根付いた食文化として位置づけられています。

日本各地には、地域ごとに個性の異なるそば文化があります。岩手のわんこそばはお椀に盛られたそばを次々とお代わりする形式で知られ、長野の戸隠そばは水を切らずに輪を描くように盛る「ぼっち盛り」が特徴です。出石皿そばは、こうした地域そばのなかでも、白磁の小皿に5枚1組で盛る提供スタイルと、信州から伝わった技術という成り立ちの両方を併せ持つ点で独自の立ち位置にあります。器そのものが出石焼という地元の工芸品である点も、他地域のそばとは違う出石ならではの魅力です。

但馬牛やカフェも楽しめる出石のグルメ

出石では、ブランド牛のルーツとされる但馬牛も味わえます。松阪牛や神戸牛など各地の有名ブランド牛の多くは、この但馬牛を血統の源流としています。城下町には皿そばの名店に加えて但馬牛料理の店もあり、そばと但馬牛を一緒に味わえる御膳を出す店もあります。出石そばと地ビール、但馬牛を組み合わせて提供する専門店もあり、食べ歩きに幅が出ます。

そば以外のランチやスイーツも充実しています。出石城跡から東へ徒歩5、6分ほどの場所には、自家製の漬物を使ったランチや手作りスイーツを出す古民家カフェがあります。出石城跡から徒歩3分の「いずし観光センター」にはカフェが併設され、アイスクリームやパフェをテイクアウトして食べ歩くこともできます。大正年間創業の老舗和菓子屋では和菓子作りの体験プログラムもあり、出石町家を舞台にした出石焼の絵付け体験とあわせて旅程に組み込む人もいます。

土産物選びも出石観光の楽しみのひとつです。出石焼、乾麺タイプの出石そば、地元素材を使った菓子など、持ち帰りたい品が城下町のあちこちの土産物店に並んでいます。

出石焼は1980年に伝統的工芸品に指定された白磁の焼き物

出石焼は、国内でも珍しい白磁を中心とした焼き物で、出石白磁とも呼ばれます。透き通るような白さと、浮き彫りや透かし彫りによる精緻な紋様の対比が特徴です。白磁とは、白色の素地に透明な釉薬をかけ、絵付けをせずに白そのものの美しさを見せる磁器を指す言葉で、その歴史は中国の六朝時代にまでさかのぼるとされます。日本を代表する磁器の産地である佐賀県の有田焼も、この白磁を原点のひとつとしており、白さや半透光性、吸水性の低さ、硬さといった性質は磁器全般に共通する特徴です。出石焼はこうした白磁の系譜に連なりながら、浮き彫りや透かし彫りという独自の加飾技法で個性を出している焼き物だといえます。

歴史は江戸時代後期にさかのぼります。天明4年(1784年)、伊豆屋弥左衛門が出石郡細見村に土焼の窯を築いたのが始まりとされ、寛政5年(1793年)には肥前出身の石焼職人だった兵左衛門が磁器の焼成に成功しました。この成功をきっかけに、それまでの陶器から磁器へと生産の中心が移っていったといわれています。1980年には国の伝統的工芸品に指定されており、長い歴史と技術が評価されている工芸品です。

町中には複数の窯元が残っており、実際に絵付け体験ができる工房もあります。所要時間はおよそ15分から30分程度で、観光の合間に立ち寄りやすいプログラムです。出石観光センターでは複数の窯元の作品を取り揃えており、営業時間は8時30分から17時30分までとなっています。土産としてだけでなく、日常使いの器として購入していく人も多いようです。ポタリングと組み合わせれば、中心部から少し離れた窯元まで効率よく巡れます。「窯元巡りコース」として案内されているルートもあり、そば処や城跡だけでなく、ものづくりの現場に触れられるのも出石観光の奥行きです。

出石へのアクセスは新大阪から特急こうのとりで2時間45分ほど

関西圏から出石へ向かう場合、電車なら新大阪駅と城崎温泉駅を結ぶ特急こうのとりでおよそ2時間45分、そこからバスに乗り継ぐルートが定番です。自家用車の場合は、大阪・神戸・京都といった関西の主要都市からおよそ3時間で到着します。城下町エリアには大型の駐車場が複数あり、駐車場に車を停めてから徒歩やレンタサイクルで散策するスタイルが一般的です。

公共交通機関の場合は、JR豊岡駅を起点とするのが基本ルートです。豊岡駅からは全但バスが運行しており、出石までは概ね30分ほどです。JR江原駅や八鹿駅からもバス便があります。

城崎温泉と出石をあわせて楽しむ旅行者も多く、両エリアを結ぶ交通も整っています。「城崎温泉から出石デマンドバス」は事前予約制で、出発の2時間前まで予約を受け付けています。特急こうのとりは日中おおむね1時間から2時間に1本の間隔で運行されているため、城崎温泉駅に着いたあとは路線バスやデマンドバスで出石へ向かう流れが組みやすくなっています。高速バスなら、全但バスが大阪・神戸と城崎温泉・湯村温泉方面を結ぶ路線を運行しており、こちらも移動手段になります。

出石の城下町ポタリングで巡る一日モデルコース

日帰りなら、辰鼓楼を起点に城下町を眺めながら散策を始め、家老屋敷でレンタサイクルを借りて出石城跡へ向かい、有子山稲荷神社からの展望を楽しむ流れがおすすめです。そのあと自転車で永楽館を訪れ、昼食には皿そば巡り巾着セットで2、3店舗を食べ比べます。午後は窯元で出石焼の絵付け体験をし、最後に土産物店で焼き物やそばの土産を選んで締めくくるのが定番の一日です。

秋には「出石お城まつり」も開催されます。城下町を舞台にした大名行列が練り歩く祭りで、子ども大名行列と大人による槍振りが見どころとされています。城下町の史跡を背景にした行列は、出石の歴史的な町並みならではの光景です。モデルコースの時期を検討する際は、こうした季節のイベントとあわせて予定を組むのもおすすめです。

城崎温泉と組み合わせる場合は、前泊か後泊で城崎温泉の外湯めぐりをし、日中は出石で城下町散策と皿そばを楽しむプランも人気があります。城崎温泉には徒歩20分圏内に地蔵湯、柳湯、一の湯、御所の湯、まんだら湯、鴻の湯、ふれあいの湯という7つの外湯があり、それぞれ由来や言い伝えが異なります。泉質は共通していても、洞窟のような造りや露天風呂など趣が違うため、複数の外湯を巡って違いを楽しむ人が多いようです。異なる魅力を持つ二つの観光地を効率よく回れるため、但馬エリアを訪れる旅行者の多くがこの組み合わせを選んでいるようです。

出石は、城下町の風情、300年以上続く出石皿そば、白磁の出石焼と、コンパクトなエリアに見どころが集まった町です。レンタサイクルを使えば、辰鼓楼、出石城跡、永楽館、そば処、窯元を無理なく一日で回れます。関西圏からもアクセスしやすく、城崎温泉ともあわせやすいので、日帰りでも一泊二日でも予定を組みやすい旅先だと思います。

歩くだけでも十分に楽しめる町ですが、自転車があると滞在時間の使い方の幅が広がります。そば処をはしごしたい人も、窯元をゆっくり見て回りたい人も、家老屋敷でレンタサイクルを借りるところから旅を組み立ててみてはどうでしょうか。

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