北海道の港町、江差のいにしえ街道を約1kmのポタリングで巡る

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江差町のいにしえ街道は、姥神町から中歌町まで約1kmから1.1km続く旧国道沿いの通りです。距離が短いので、蔵や商家の前で止まりながら自転車でのんびり走るポタリングにちょうどいい長さです。沿道に残る問屋や蔵、商家、町屋、寺社は、江戸時代後期から明治初期の町の姿を今に伝えています。

北海道の檜山地方にある江差町は、明治初期まで北前船によるニシンの取引と、檜材の交易でにぎわった港町でした。当時の建物が、今も通りの町並みとして保存されています。

街道の周辺には江差のシンボルのかもめ島があり、幕末の軍艦を実物大で復元した開陽丸もあります。夏には、山車がこの通りを練り歩く姥神大神宮渡御祭が開かれます。江差の名物は、身欠きにしんを煮込んだニシンそばです。

目次

いにしえ街道の約1kmは、ママチャリでも無理なく走れるポタリング向きの距離

ポタリング(Pottering)とは、散歩をするように自転車でゆっくり走る楽しみ方のことです。途中で町をぶらぶらする、地元で手に入れた品を好きな場所で味わう、景色をカメラに収める、といった寄り道も含みます。

長い距離を走り、坂の上りにも挑むサイクリングはストイックな走りです。それに対してポタリングは、短い距離をのんびり進むのが基本で、坂も下りが中心とされます。とはいえ、はっきりした定義はありません。人によって基準がばらばらなので、「ポタリング」と聞いて出かけたら、想像よりきつい道だったということも起こります。

自転車選びの目安は、ママチャリやミニベロなら5km程度までの短い距離、クロスバイクなら20km程度の中距離です。**いにしえ街道は約1kmなので、どの自転車で走っても負担になりません。**気になった蔵や商家の前で降りて眺め、また少し進む。止まることを前提にした回り方が、この通りには合っています。

かもめ島と開陽丸も同じ港のエリアにあり、街道と組み合わせても1日で回りきれる範囲です。

江差はニシンとヒバと北前船で栄えた港町

1678年の檜山番所から始まった港の歴史

江差の歩みは、1678年に松前藩が檜山番所を置いたところから始まりました。最初はヒノキ材(ヒバ)を積み出す港として発展しました。松前藩の領地では米が採れなかったため、藩はニシンやヒノキ材、昆布などを売り買いして財政を回していました。

元禄期を過ぎると、江差の近くの海でニシン漁が盛んになり、町の人口は急に増えます。18世紀初頭には、松前三湊のひとつに数えられるほどの港町になっていました。

ニシン漁のやり方も変わっていきます。江戸時代の初めは松前藩の本領の内側だけで行われていた漁が、18世紀半ばに場所請負制度ができると、大きな規模の漁場経営へと広がりました。ところが、西廻り航路が整うにつれて漁場は北へ移ります。明治に入ってからはニシン場の北上などが重なり、江差は少しずつさびれていきました。

檜山という地名はヒバから来ている

江差を含む地域の名前、檜山(ひやま)は、ヒバにちなむそうです。ヒバの正体は、アスナロの変種にあたるヒノキアスナロです。林業の現場では、アスナロも合わせて「ヒバ」と呼びます。木目が細かく、湿気にもシロアリなどの虫にも強いので、良い木材として重宝されてきました。

江差町の神社や寺、旧家の多くは、このヒバで建てられています。しかし、松前藩が伐りすぎたことや山火事のせいで数が大きく減り、今はわずかしか残っていません。そこで有志団体の「北のひばやま倶楽部」が、約10年かけて約1万2千本の苗木を植えてきました。苗木の値上がりと担い手の不足が、続けるうえでの課題とされます。

北前船は寄港地で売り買いする「動く総合商社」

北前船は、江戸時代から明治時代の日本海で活躍した船で、種類としては買積船(かいづみぶね)にあたります。名前は上方の側からの呼び方で、北陸など日本海沿岸の北国方面へ通う船をまとめてそう呼びました。船の形で決まる名前ではない、という説明もあります。

船主が自分で荷主を兼ね、品物を仕入れて寄港地ごとに売り買いし、その差額で稼ぎました。このやり方を買い積み商法といい、船そのものが「動く総合商社」にたとえられています。航路は、日本海沿岸から下関を回って瀬戸内海に入り、大坂へ向かう西廻り航路です。のちに、この航路が蝦夷地(北海道と樺太)まで延びました。

北海道から上方へ運ぶ上り荷は、胴ニシン、羽ニシン、身欠きニシンといったニシンのほか、サケや昆布などの海産物でした。逆向きの下り荷は、米、塩、木綿、酒が中心です。千石船という呼び名もあり、積める量は500石から1,500石、なかでも1,000石前後の船が多かったようです。明治中期に汽船と鉄道が広まると、北前船は役目を終えていきました。

ニシン漁を仕切った網元と鰊番屋

ニシン漁の現場を動かしていたのは網元です。網元は漁網を持つ人や漁の経営者のことで、網主とも呼ばれ、網子を使って漁をしました。漁場と番屋を切り盛りし、働き手を抱えていたのも網元でした。

鰊番屋は、網元の住まいと、出稼ぎでやって来た漁師(ヤン衆)の泊まる場所をひとつにした建物です。江戸末期から建てられるようになり、ひときわ大きく豪華なものは鰊御殿と呼ばれました。ニシンは加工されてから北前船に積まれ、日本各地へ送り出されています。

2017年4月28日、北海道で第1号の日本遺産に

江差の町には、回船問屋や網元、商家の土蔵が軒を連ねていた時代がありました。この歴史が評価され、2017年4月28日、江差町が申請したストーリー「江差の五月は江戸にもない ─ニシンの繁栄が息づく町─」が日本遺産に認定されました。北海道の日本遺産としては、これが第1号です。

題名は、「出船三千、入船三千、江差の五月は江戸にもない」とうたわれた北前船の時代のにぎわいから取られています。テーマはニシン漁がもたらした繁栄と、そこから育った食文化、町並み、伝統芸能で、関連する文化財には「江差の町並み」も入りました。

北前船を扱う日本遺産としては「北前船寄港地・船主集落」もあり、北海道からは函館市と松前町がそちらに含まれています。江差町は、その枠とは別に自分たちの物語で認定を受けた町です。

人口は1965年ごろの約15,000人から、2025年3月時点で6,460人に

2025年3月時点の江差町の人口は6,460人、世帯数は3,898世帯です。人口がいちばん多かったのは昭和40年(1965年)ごろで、約15,000人でした。それ以降は減り続けています。

町には檜山振興局が置かれています。振興局は2010年に檜山支庁に代わってできた組織で、江差町を含む7町を受け持っています。

いにしえ街道の沿道と周辺で自転車を止めたい商家、郡役所、寺、追分会館

通り沿いでまず足を止めたいのは、旧中村家住宅と横山家の2軒の商家です。周辺には、旧檜山爾志郡役所や法華寺、江差追分会館もあります。

旧中村家住宅は4棟をトオリニワでつないだ海産物問屋

旧中村家住宅は、近江商人の大橋宇兵衛が明治20年代のはじめに建てた海産物問屋です。大橋宇兵衛の家業は海産物の仲買で、宝暦年間(1751年から1763年)という江戸時代のうちから商売を続けていました。

建物は主屋、文庫倉、下ノ倉、ハネダシの4棟で、「トオリニワ」と呼ばれる細長い通路がこれらを一本につないでいます。通りに面した入口側は帳場で、手代が3人並んで座れる珍しい造りです。文庫倉には、北前船の交易で手に入れた品々がしまわれていたそうです。

中は資料館として公開されていて、北前船が行き交ったころの江差の繁栄を伝えています。

横山家は8代目が今も暮らす総檜造りの商家

横山家は、漁業と廻船問屋を営んだ初代が江戸時代に建てた、京風の総檜造りの商家です。能登から江差に移ってきた商人の家、という紹介のされ方もしています。建ってから220年以上が過ぎた今も8代目が住んでいて、家の中には暮らしの道具がたくさん残っています。

文化財としての扱いは、旧中村家住宅と横山家で異なります。旧中村家住宅は国指定の重要文化財、横山家は北海道指定の有形民俗文化財です。

旧檜山爾志郡役所は北海道でただ1つ残る郡役所

旧檜山爾志郡役所は洋風の建物で、完成は1887年(明治20年)11月です。郡役所と江差警察署をひとつの建物で兼ねていて、北海道に現存する郡役所はここだけとされています。

1928年に郡役所が別の場所へ移ってからは、江差警察署として使われ続けました。今の姿は江差町郷土資料館で、北海道指定有形文化財にもなっています。2021年8月からは、江差線の鉄道資料が館内に移されて展示されています。

法華寺の山門は檜山奉行所の正門だったと伝わる

通りの周りには、寺社も残っています。法華寺は江差町本町にある寺で、もとは上ノ国の勝山に1521年に開かれました。江差へ移ったのが1665年、再建されたのが1716年です。

山門の由来は檜山奉行所の正門で、建てられたのは300年以上前と伝わります。北海道最古の建造物の一つとされる門です。本堂の天井に描かれた龍は、池大雅の作という言い伝えがあります。本堂が使われているときは中に入れません。

観光ガイドには、金剛寺のほか、西本願寺と東本願寺それぞれの江差別院も載っています。金剛寺は中歌町の少し高い場所に建ち、日本海を見渡せます。西本願寺江差別院の本堂を建てたのは大勢の門徒たちで、1880年(明治13年)のことでした。

江差追分会館では4月末から10月に本場の唄を聴ける

江差追分という民謡が広まったのは、江戸時代中期以降と伝わります。4月末から10月までの期間は、江差追分会館の百畳敷ホールで本場の唄を実演しています。

会館は、江差追分全国大会の拠点にもなっています。大会そのものは主に江差町文化会館が会場です。第1回は昭和38年(1963年)で、ひとつの民謡だけを競う全国大会としては最も長い歴史を持つ大会とされています。令和2年と3年は新型コロナのために開けませんでしたが、その後は例年どおりの形で再開しています。2024年に第60回の記念大会を迎え、2026年の第62回大会は、予選会が9月18日と19日の日程で組まれていました。

旧中村家住宅と旧檜山爾志郡役所の入館料は大人300円

街道周辺で料金がかかる施設の入館料と開館時間を、表にまとめます。

施設料金開館時間・休み
旧中村家住宅大人300円、小中高生100円。団体(15名以上)は大人270円、小中高生90円9時から17時。休みは冬期(11月から3月)の月曜日と祝日の翌日で、4月から10月は無休。年末年始の12月31日から1月5日は全休
旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)大人300円9時から17時。冬期(11月から3月)は月曜日と祝日の翌日に休館し、4月から10月は毎日開館
3施設共通券(旧中村家住宅、旧檜山爾志郡役所、旧関川家別荘)大人500円、小中高生150円―
法華寺(拝観)高校生以上300円、小中学生150円本堂の使用時は立ち入り不可

旧中村家住宅は、11月から3月の閉館を16時30分としている案内もあります。

街道から足を延ばせば、かもめ島と開陽丸に寄れる

かもめ島は江差町のシンボルの小島で、開陽丸は江差沖で沈んだ軍艦を実物大で復元したものです。

かもめ島は海抜30m、周囲2.6kmで歩いて渡れる

かもめ島の大きさは周囲2.6km、高さは海抜30mです。もとは離れ島でしたが、今は堤防と埋立地で陸とつながり、歩いて渡れます。島を一周する散策路が整えられていて、まわりは檜山道立自然公園の特別区域に指定されています。毎年7月には、江差かもめ島まつりが開かれます。

名前の由来は島の形です。南北に細長く、真ん中がくびれた姿が、かもめの飛ぶ様子に似ているとされます。翼にあたる細長い部分が波よけの堤の代わりになったおかげで、江差は天然の良港になり、北前船の交易が成り立ちました。江戸時代には灯明台があり、かつて弁天社が建っていたことから、弁天島とも呼ばれていました。

見どころの1つ目は瓶子岩(へいしいわ)です。遊歩道沿いに立つ奇岩で、高さは10mを超えます。酒を注ぐための器である瓶子を、逆さに置いたような姿が名前の由来です。江差にニシンをもたらしたという伝説にまつわる岩です。2つ目は崖の千畳敷で、波に削られた跡が、畳を敷き詰めたように広がっています。

開陽丸は1868年に江差沖で沈んだ幕末の軍艦

開陽丸は幕末の軍艦で、建造地はオランダです。1863年から約3年をかけて造られ、日本に着いたのは1867年3月でした。

沈没は1868年(明治元年)の出来事です。11月15日の夜半、江差沖で暴風雪に見舞われて座礁し、それから約10日たって沈没しました。ちょうど総司令官の榎本武揚が上陸し、江差を制圧していた最中でした。

海底に残った船の発掘調査が本格化したのは、1970年代半ばです。これまでに引き揚げた遺物は約33,000点にのぼります。平成2年には船が実物大で復元され、開陽丸記念館となったその船内に、約3,000点の遺物が展示されています。所在地は北海道檜山郡江差町姥神町1-10です。

2025年には、江差町教育委員会が水中調査を手がけました。撮影した約7千枚の写真をもとに、船体の一部を立体映像として再現しました。あわせて、船体を守るための埋め戻しも済ませています。

姥神大神宮渡御祭では13台の山車がいにしえ街道を巡る

姥神大神宮渡御祭は江差町の三大まつりのひとつで、山車がいにしえ街道を含む下町地区を練り歩きます。漁期を終えた夏に、ニシンの豊漁に感謝して祭りを開いたことが起こりとされ、380年あまり続いてきました。舞台の姥神大神宮は、北海道で最も古い神社とされています。

祭りには、北前船で京都から運ばれてきた文化が残っています。神輿の後ろには13台の山車が続きます。江差では山車を「ヤマ」と呼び、神の依代となる青木(トドマツ)を屋台に据えます。この作業を地元では「ヤマを立てる」と表現します。通りに響くお囃子は、京都の祇園祭から受け継がれた系統のものです。

2025年は8月10日が本祭でした。午後0時45分に姥神大神宮前を出た行列が、いにしえ街道などの下町地区を中心に約4kmを練り歩いています。2026年は8月9日から11日の3日間の日程とされ、初日の御霊代奉遷祭に続いて、10日に下町、最終日の11日に上町を巡行する予定でした。上町巡行の日の夜は、新地町の繁華街に山車が勢ぞろいします。

自転車で走るなら、静かな通りを楽しみたいときは祭りの時期を外し、巡行を見たいときは祭りの日に合わせるのが向いています。交通規制や巡行のコースは年ごとに変わります。問い合わせは、姥神大神宮祭典協賛実行委員会(江差観光コンベンション協会)が受け付けています。

函館から江差へは車で約70km、1時間30分ほど

函館から江差へは、バスか車で向かいます。車の場合、起点は函館新道の函館ICで、そこから国道227号を使って約70km、時間にして1時間30分ほどです。

バスの場合は、JR函館駅から江差町行きの函館バスに乗ります。所要時間は約1時間40分から2時間15分で、降りるバス停は「姥神町」です。

郊外はトイレもガソリンスタンドも少なめです。どこで休むか、どこで給油するかを先に決めておくと安心です。

走ったあとの一杯は、身欠きにしんを煮込んだニシンそば

江差の名物はニシンそばです。じっくり煮込んだ身欠きにしんをそばにのせた一杯で、甘じょっぱい味がします。アオサと一緒に食べるとおいしい、という口コミもあります。

津花館(つばなかん)は海沿いにある洋食が中心の店で、江差海岸とかもめ島を見ながら食事ができます。にしんそばは900円です。お土産・お食事の店Horizoんは、ニシンの甘露煮と数の子をはさんだ「ニシン親子サンド」を新しい名物として出しています。ホテルニューえさしの中にある喫茶・レストラン ラ・カルプは、にしん丼で名が通っています。

いにしえ街道の途中で休むなら、通り沿いのカフェ、茶房せき川があります。散策の合間に立ち寄る場所として紹介されている店です。営業時間や定休日は変わることがあります。

横山家と開陽丸記念館は休館していた時期があるので、出発前に開館状況を確認

横山家は臨時休業していた時期があり、その間も建物の外観は見られました。開陽丸記念館も工事のため休館した時期があり、そのあいだは外から眺めるだけの見学でした。開館状況と店の営業時間、バスの時刻、それに自転車で走れる場所や路面の状態は、出かける前に江差町観光協会などの公式情報や時刻表で確認してください。

いにしえ街道を花で飾ってきた「花の樽」は、もう続けられなくなりました。樽型プランターに花を植える取り組みで、地元の住民団体が担ってきましたが、会員が減り、高齢化も進んだためです。花壇の手入れについては、手伝ってくれる人を募集中です。

約1kmのいにしえ街道は、自転車を止めながら港町の名残をたどる通り

いにしえ街道は約1kmから1.1kmの短い通りで、旧中村家住宅や横山家、旧檜山爾志郡役所の前で自転車を止めながら、北前船とニシンで栄えた江差の名残をたどれます。

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