青森県黒石市の中町こみせ通りは、黒石駅から歩いて10分から15分ほどの場所にあり、見どころが町の中心部に集まっているので、自転車でゆっくり回るポタリングにちょうどいい通りです。通りの名前になっている「こみせ」は、家の持ち主が自分の敷地の庇を長く張り出し、その下を誰でも通れる道として開いた木造のアーケードのことです。藩政時代の姿をとどめるこの町並みは、2005年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれました。
見学は自由で、通り沿いの酒蔵や商家、食事処に、気になった店に寄りながら進めます。
ポタリングという言葉は、英語の「potter(ぶらつく)」から来ているそうです。行き先をとくに決めず、自転車などの小さな乗り物でのんびり走る遊び方を指し、1950年代にはもう使われていました。何キロ走るか、どれくらいの速さで走るかといった決まりはありません。頑張りすぎない程度が目安で、町を気ままに流したり、地元で買った食べ物を気に入った場所で広げたりする、サイクリングの一種です。

中町こみせ通りのこみせは雪と日差しを防ぐ通路
こみせは「小見世」とも書き、家の持ち主が自分の敷地の上に庇を張り出して、その下を通る人に開放したものです。冬は吹雪や積もった雪を、夏は強い日差しをよけられます。雪の時期になると、正面の柱と柱のあいだに板戸や障子戸を落とし込み、風や雪が入り込まないようにします。
形は雁木造りに近く、本州の日本海側の雪国で見られたつくりです。藩政時代の町並みがまとまって残る例は、全国的にも珍しいそうです。
新潟では同じような雪国の通路を「雁木」と呼ぶ
雪の多い土地の同じような通路を、新潟などでは雁木と呼び、東北には「こもへ」という呼び名もあるそうです。雁木は「雪国のアーケード」とたとえられることもあります。
雁木で知られるのが新潟県上越市の高田で、総延長約16キロメートルで日本一の長さを持つ雁木通りが、いまも町に続いています。雁木が架かる部分は家ごとの私有地で、母屋の一部として持ち主が手入れをしているので、庇の高さも足元の舗装も家ごとにばらばらです。雪よけのためにつくられたものですが、冬以外の季節には雨よけにもなります。
重要伝統的建造物群保存地区のほか2つの百選にも選ばれた
中町の町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区のほかに、「美しい日本の歴史的風土百選」と「日本の道100選」にも名を連ねています。
重要伝統的建造物群保存地区は、文化財保護法にもとづく制度です。まず市町村が、伝統的な建物の集まりと、それと一体になって価値をつくっている周りの環境を守るために、伝統的建造物群保存地区を定めます(第143条)。対象になるのは、城下町や宿場町、門前町などに残る集落や町並みです。こうして決まった地区の中から、国として特に価値を認めるものを、市町村の申し出にもとづいて文部科学大臣が選んだものが重要伝統的建造物群保存地区です(第144条)。選ばれた地区では、国や都道府県の教育委員会が保存と活用について指導や助言を行い、修理や修景の事業、防災設備や案内板の設置に補助を出します。税の優遇もあります。
中町の保存地区の概要は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 中町伝統的建造物群保存地区 |
| 選定日 | 2005年7月22日 |
| 種別 | 商家町 |
| 面積 | 約3.1ヘクタール |
| 範囲 | 黒石市の中町、浦町二丁目、甲徳兵衛町、横町の各一部 |
| 広がり | 東西約170メートル、南北約260メートル |
黒石の町とこみせは1656年に津軽信英が整えた
黒石の市街地の始まりは1656年(明暦2年)です。この年の2月2日、幕府の命によって、津軽信英が弘前藩の知行高のうち5000石を分け与えられました。これは内分分知で、内訳は黒石領が2000石、外浜の平内領が1000石、上野国(群馬県)の新田庄が2000石でした。こうして生まれた黒石藩は弘前藩から分かれた支藩で、二つの藩のあいだには従属関係があります。
初代領主となった信英が整えた町割りは、陣屋の北に武家地を置き、その東の浜街道沿いに中町などの商家町を並べるものでした。浜街道は北へ行けば青森、南へ行けば弘前藩領に通じる道で、中町はその中継地として商家が軒を連ねました。黒石は、黒石津軽家の城下町として発展しました。
陣屋の築造にあわせて簡素な「落とし式」のこみせがつくられた
陣屋は、城を持てない大名が置いた政庁兼住まいです。原則として3万石に満たない大名は城を持てず、簡単な堀や石垣で囲んだ陣屋を構えました。城を持たない大名の陣屋は暮らしの場としての役割が中心で、戦に備えた石垣や堀のないものがほとんどでした。
こみせがいつできたのかははっきりしていませんが、信英が町割りをした際に、豪雪や吹雪の吹き込みに備えてこみせづくりを勧め、つくらせたと伝わります。黒石藩の陣屋を築くときには、短い期間で仕上げるため、藩が持つ道路の上に庇を出す簡単な「落とし式」のこみせが整えられたとされています。
江戸時代の中ごろには、高橋家住宅のような大きな商家が建ち、町並みが整っていました。こみせの町並みは、いちばん栄えた時期には約4.8キロメートルにも及んだそうです。
中町の町家は切妻造妻入の二階建てで道路側にこみせが付く
中町に並ぶ町家の主屋は、多くが切妻造妻入の二階建てで、二階の正面に出格子窓があります。そして道路に面した側には、こみせの庇が付いています。この庇が、地区のいちばんの特徴です。
切妻造は、二枚の斜面を合わせた、屋根の形としてもっとも基本的なものです。二枚の斜面のあいだにできる三角形の面を妻側と呼びます。入口がどこにあるかで呼び方が分かれ、棟と平行な長い辺、つまり屋根の斜面側に入口があるものが平入、三角形の妻側に入口があるものが妻入です。
民家では平入のほうが多く、江戸時代の民家にもよく見られます。妻側には軒がないので、入口の上には庇がいります。
出格子窓は、開け閉めできない固定式の格子窓のなかでも、壁面より外へ突き出したものです。
中町こみせ通りの見どころは高橋家住宅と鳴海醸造店
通り沿いで立ち寄りたいのが、国の重要文化財の高橋家住宅と、老舗酒蔵の鳴海醸造店です。
高橋家住宅は1763年ごろに建った黒石藩御用達の米屋
高橋家は黒石藩の御用達をつとめ、おもに米を商った商家で、屋号は「米屋」です。住宅は宝暦13年(1763年)ごろの建築で、広い土間や吊り上げ式の障子窓を備えた、典型的な商家のつくりをしています。
いまも人が暮らしているので、座敷には上がれません。4月から11月は庭園を眺められる喫茶処が開き、あんみつやお汁粉が味わえます。雪害を受けた屋根の修復工事のため、休むことがあると案内されています。
重要文化財は、有形文化財のうち重要なものを文部科学大臣が指定するもので、根拠は文化財保護法第27条です。指定は官報で告示されます。
鳴海醸造店は1806年創業の「菊乃井」の蔵元
鳴海醸造店は文化3年(1806年)に創業した酒蔵で、銘酒「菊乃井」を造っています。日本酒はいつでも6種類以上を試飲できます。
店の中から眺められる庭園も見どころです。庭は津軽地方で独自に育った大石武学流で、大きな石を大胆に配しています。大石武学流は、江戸時代の末から近代にかけて津軽に広まった作庭の流派です。鳴海醸造店の庭園(鳴海氏庭園)は小幡亭樹が作り始め、のちに池田亭月が仕上げたと伝わります。
流派の特徴は、景石や石燈籠の様式、植栽の仕方に表れます。池のまわりに「礼拝石」を据える配置や、野夜燈という名の石燈籠、主景にクロマツを据えた植え込みがその例です。座敷に座って眺める座観を前提にした庭づくりも、この流派の特徴です。
黒石つゆやきそばはこみせ通りの角の「すずのや」で500円
こみせ通りのまわりでは、ご当地グルメの黒石つゆやきそばが食べられます。やきそばにつゆを合わせた、黒石ならではの料理です。
発祥は「美満寿」という店だそうで、その味を再現したのが、こみせ通りの角にある黒石やきそば専門店の「すずのや」です。看板の「くろいしつゆやきそば」が500円です。
元町にあるお食事処妙光は、昭和53年に開いた店です。醤油ラーメンのスープを使った独自の「元祖つゆやきそば」を出しています。黒石つゆやきそばなどの料理は、つがるの食彩 野田でも出しています。
中町36のレストラン御幸は、こみせ通りの町並みを目にしつつ和食が食べられる店です。どの店も営業時間や休みが変わることがあるので、行く前に確認しておくのがおすすめです。
こみせの下では自転車を降りて押して歩く
中町をポタリングで回るとき、こみせの下は自転車を押して歩くのが基本です。店や住まいの出入口が続いているので、通るときは出入りする人の邪魔にならないよう気を配ってください。
雪の季節は、屋根からの落雪や凍った路面にも備えておく必要があります。
黒石駅へは弘前駅から弘南鉄道で約30分
黒石駅へは、弘前駅から弘南鉄道弘南線で約30分です。弘南線は弘前駅と黒石駅を結ぶ全長16.8キロメートルの路線で、沿線に田んぼが広がることから「田んぼ鉄道」の愛称で親しまれています。駅前からは弘南バスや黒石市コミュニティバスをはじめ、複数のバス路線が出ています。
駅から主な場所までの目安は次のとおりです。
| 行き先 | 黒石駅からの目安 |
|---|---|
| 中町こみせ通り | 徒歩10分から15分ほど |
| すずのや | 徒歩12分ほど |
| 中野もみじ山 | タクシーで約20分 |
黒石ねぷたと黒石よされは中町こみせ通りが舞台
黒石ねぷたは町内のあちこちで運行されますが、中心になるのは中町こみせ通りです。弘前や青森のねぷたと比べて絵柄が繊細で、山車は道幅に合わせて小ぶりにつくられています。
黒石よされの起源は、500年から600年前の男女の掛け合い唄だそうです。徳島の阿波踊り、郡上市の郡上踊りと並んで日本三大流し踊りのひとつに数えられ、流して踊るコースに中町こみせ通りが入っています。
こみせの再生を担うのは津軽こみせ株式会社と黒石市
こみせは中心市街地が衰えるにつれて数を減らし、いまは中町とその周辺に一部が残るだけになりました。そこで住民や商店主、市が中心になって、再生に取り組んできました。まちづくりの中核にいるのが、TMOの「津軽こみせ株式会社」です。
TMO(タウンマネジメント機関)は、中心市街地活性化法にもとづいて、商工会や商工会議所、第三セクターなどが市町村の認定を受けて担う組織です。中心市街地の商業の集まりを一体的かつ計画的に整えるため、企画や調整、実施を受け持ちます。旧中心市街地活性化法(1998年施行)は、TMOを通じた活性化を政策として後押ししました。以後、TMOの守備範囲は商店街の振興にとどまらず、まちづくり全般に及んでいます。
銭湯を改修した松の湯交流館は2015年に開館
中町33の松の湯交流館は、地元で長く愛用された銭湯「松の湯」を改修してつくった観光交流施設で、黒石駅から徒歩約7分(約510メートル)の場所にあります。2008年に黒石市が旧松の湯の建物を取得して整備を進め、開館は2015年でした。観光とコミュニティ、防災の拠点を兼ねています。開館時間は9時30分から18時で、休みは年末年始です。
中町から足を延ばすなら津軽伝承工芸館と黒石温泉郷
津軽伝承工芸館は入館無料で足湯もある
津軽伝承工芸館は、中町こみせ通りをイメージしてつくられた観光施設です。津軽塗をはじめとする7つの工房が実演販売をしていて、予約をすれば体験もできます。入館料はかからず、無料の足湯は源泉掛け流しです。営業時間は季節によって変わります。
黒石温泉郷は落合、板留、温湯の3つの温泉の総称
黒石温泉郷は、浅瀬石川沿いにある落合温泉、板留温泉、温湯温泉をまとめた呼び名です。こぢんまりとした宿が多く、素朴な山の秘湯といった趣があります。温湯温泉では、共同風呂の「鶴の名湯」が町のシンボルです。
板留温泉の近くにある中野もみじ山は紅葉の名所です。山一帯に植えられたモミジが、鮮やかに色づきます。見頃を迎えるのは10月中旬から11月上旬ごろです。
津軽こけし館とランプの宿 青荷温泉も黒石市内
津軽こけし館は津軽系のこけしを中心に並べた施設で、予約をすれば絵付け体験もできます。黒石市内には、電気を使わない秘境の宿「ランプの宿 青荷温泉」もあります。
中町こみせ通りはこみせの下で自転車を押して巡る
青森県黒石市の中町こみせ通りは藩政時代のこみせが残る重要伝統的建造物群保存地区で、こみせの下では自転車を押して歩くのを基本に、酒蔵や商家、つゆやきそばの店をポタリングで回れます。








