高梁の城下町は、自転車でゆっくり巡るポタリングに向いた町です。岡山県高梁市の市街地の中心を流れる紺屋川のまわりに、武家屋敷や寺院、洋風の教会堂、藩校の跡が近い距離でまとまっているからです。備中松山城だけは、自転車を置いて、バスや乗合タクシーと徒歩で向かうのが基本になります。
ポタリングとは、目的地に着く速さを競わず、自転車で気ままに町を回る楽しみ方を指します。高梁市は備中松山城の城下町として発展した土地で、「備中の小京都」という呼び名も持っています。

自転車はJR備中高梁駅に隣接する高梁市観光案内所で借りられる
ポタリングの起点は、高梁市観光案内所です。JR備中高梁駅のすぐ隣に建つ複合施設の中にあり、フロアは高梁市図書館の2階になります。窓口が開いているのは9時から17時までで、観光の相談に応じるほか、土産物も売っています。荷物の預かりや、備中松山城へ向かう乗合タクシーの予約も、ここで頼めます。
レンタサイクルは予約制です。車種は普通の自転車と電動アシスト自転車の2種類があるそうですが、台数に限りがあります。使う予定が決まったら、先に観光案内所へ問い合わせておくと安心でしょう。
紺屋川沿いは延長600mの市道が日本の道100選に選ばれている
ポタリングの中心は紺屋川沿いです。備中松山城の外堀として使われていた川で、岸には桜と柳の並木が続きます。道の脇に古い洋館や土蔵、格子窓の家並みが残り、ペダルをゆっくりこぎながら城下町の空気を味わえます。
紺屋川美観地区の市道は、本町楢井線と下町薬師院線にまたがり、延長は600mです。日本の道100選の一つに入っています。
日本の道100選は、1986年に「道の日」(8月10日)が制定されたのを受け、当時の建設省の道路局が選んだ道路です。建設省は今の国土交通省にあたります。選定は2回で、1986年度と1987年度に行われ、歴史のある街道や眺めのよい道路が多くを占めました。
高梁基督教会堂は岡山県に現存する最古の教会堂
高梁基督教会堂は紺屋川美観地区に建ち、完成は明治22年(1889年)です。県内に残る教会堂の中ではいちばん古いとされ、岡山県が重要文化財に指定しました。建物にはバルコニーがあり、外壁は下見板張りです。
この建物は擬洋風建築に数えられます。擬洋風建築とは、明治初期に大工の棟梁たちが西洋建築をまねて手がけた和洋折衷の建物のことです。名付けたのは後世の研究者で、外観に伝統的な日本建築の造形が残ります。代表例としてよく挙がるのは、長野県松本市の旧開智学校(1876年竣工)です。
建設の背景には信者の増加がありました。高梁でキリスト教の布教が始まったのは明治12年で、その翌年に伝道師の新島襄が訪れると、信者が一気に増えます。建設費は信者の寄付でまかなわれ、設計から施工までを今治出身の大工、吉田伊平が引き受けたとされます。屋根に載る鐘楼は最初からあったものではありません。札幌農学校の時計台を手本に、あとから足されたそうです。
JR備中高梁駅からは歩いて12分から15分ほどの距離です。
有終館跡は山田方谷が人を育てた藩校の跡地
紺屋川美観地区には、備中松山藩の藩校、有終館の跡もあります。ここで人材を育てたのが陽明学者の山田方谷で、藩の財政改革を担った人物でもありました。方谷が修めた陽明学は儒学の説の一つで、唱えたのは明の王陽明です。
方谷を引き上げたのは、嘉永2年(1849年)に藩主となった板倉勝静です。藩主になった翌年、勝静は方谷を元締役兼吟味役に任じました。岡山県は、方谷の財政改革で藩の大きな借金が返済され、蓄えまで生まれたと解説しています。
藩主の板倉勝静は、15代将軍の徳川慶喜を支えた最後の老中としても名を残しました。老中とは、江戸幕府で政務全般をまとめた常置の最高職です。
高梁市歴史美術館は、特別展「幕末の備中松山藩と山田方谷」を開いています。方谷の没後150年の節目に合わせた催しで、2026年10月10日に開幕し、会期は2027年1月18日までです。
石火矢町の武家屋敷は約250m続き、旧折井家と旧埴原家の2棟に入れる
石火矢町では、約250mの長さにわたって、格式を感じさせる門構えの武家屋敷が並びます。一帯は岡山県指定のふるさと村です。中を公開している屋敷は旧折井家と旧埴原家の2棟で、共通券があれば両方に入館できます。
旧折井家は、天保年間に官舎と役所を兼ねていた住まいを再現した建物です。旧埴原家のほうは江戸中期の建築で、寺院建築や数寄屋風の要素が取り入れられています。
数寄屋造りとは、茶室の美意識を住宅や公共施設へ広げた、日本の伝統的な建築様式のことです。
2館の開館時間などは次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 4月から9月の開館時間 | 10時から17時 |
| 10月から3月の開館時間 | 10時から16時 |
| 旧埴原家の休業日 | 12月29日から1月3日 |
| 駐車場 | 普通車7台分(両館で共通) |
頼久寺の庭園は小堀遠州の作と伝わる国の名勝
頼久寺の見どころは庭園です。蓬莱式の枯山水で、国の名勝に指定されています。作庭者は、江戸時代初期に備中国奉行の職にあった小堀遠州と伝わります。寺そのものは、足利尊氏が暦応2年(1339年)に安国寺として建てた禅寺とされます。拝観は通年で、時間は9時から17時まで、JR備中高梁駅からは徒歩約15分です。
枯山水とは、池や流れの水を使わず、石や砂、苔で山水の景色を表す日本庭園の様式を指します。この語は平安時代の作庭書『作庭記』にも出てきて、水のない場所に石を配する手法の名として使われています。
名勝は、文化財保護法に基づく記念物の一つです。庭園や橋梁、峡谷、海浜、山岳といった名勝地のうち、芸術面や鑑賞面で価値の高いものを指し、文部科学大臣が官報で告示して指定します。
松連寺や薬師院などの寺院は城砦を思わせる石垣を備え、城下町らしい景観をつくっています。
備中松山城は現存12天守で唯一の山城
備中松山城は、臥牛山の小松山の山頂近くに建っています。天守が残る城のうち、山城は国内でここだけです。現存天守の中で規模は日本最小、城下との高低差は最大とされています。
現存天守とは、江戸時代以前の天守が建てられたまま現代まで残っているものを指し、「現存十二天守」と総称されます。12城の内訳は次の表のとおりで、それぞれ北から並べました。
| 区分 | 城 |
|---|---|
| 国宝(5城) | 松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城 |
| 重要文化財(7城) | 弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城 |
備中松山城で国の重要文化財に指定されているのは、天守と二重櫓、三の平櫓東土塀です。二重二階の土蔵造りの天守を、背後から守る役目を負っていたのが二重櫓です。
備中松山城は鎌倉時代の砦に始まり、水谷勝宗の大改修で今の天守が建った
城の始まりは鎌倉時代までさかのぼるとされ、秋庭(秋葉)重信が大松山に砦を築いたと伝わります。重信は、鎌倉幕府の職名である地頭に任じられた人物とされます。
今に残る天守と二重櫓は、水谷勝宗が進めた大改修の成果で、天和元年から天和3年(1681年から1683年)にかけて建てられたとされます。元禄7年(1694年)に水谷家が断絶した際には、赤穂藩主の浅野長矩が城を受け取りました。その後の城主は譜代大名が務めました。
譜代大名は、関ヶ原の戦い(1600年)より前に徳川家へ仕えた1万石以上の直臣で、10万石以下の大名が大半でした。
備中松山城へは自転車を使わず、ふいご峠から約700mを歩く
バスでも乗合タクシーでも、降りる場所は8合目のふいご峠で、そこから天守までは約700m、歩いて約20分の軽いハイキングになります。
ふいご峠までの手段は、出発地によって次の2つから選びます。
| 出発地 | 手段 | 料金と予約 |
|---|---|---|
| 城見橋公園駐車場(5合目) | 登城整理バス | 大人往復400円、小学生以下無料 |
| JR備中高梁駅 | 乗合タクシー | 片道600円、前日17時までに予約 |
料金や運行の状況は変わることがあります。
雲海に包まれる備中松山城を狙うなら10月下旬から12月上旬の早朝
備中松山城の雲海がとくに期待できるのは、10月下旬から12月上旬の早朝です。この時期は濃い朝霧が出やすく、見られる可能性が高まります。範囲を広げると、雲海が出るのは9月下旬から4月上旬で、時間帯は明け方から午前8時ごろまでです。この城は「天空の山城」とも呼ばれます。
雲海と城の全景を一緒に眺められる雲海展望台は、小松山とは別の山、北側の山の上にあります。城と展望台の行き来には時間がかかるので、どちらを先に回るか事前に決めておくとよいでしょう。
雲海は、天候や気温の条件がそろわないと出ません。当日の天候と予報を見てから家を出るのがおすすめです。高梁市では、AIで雲海の発生を予報する取り組みも進んでいます。
高梁の城下町は紺屋川沿いを自転車で走り、備中松山城へは歩いて登る
高梁の城下町を回るなら、JR備中高梁駅の隣で予約制のレンタサイクルを借りて紺屋川沿いを走り、備中松山城だけはふいご峠から約700mを歩きます。








