有松の絞りの町並みをポタリングで巡る、旧東海道約800mの見どころ

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有松の絞りの町並みをポタリングで巡るなら、軸になる道は旧東海道の約800mの区間です。有松は、鳴海宿と池鯉鮒宿にはさまれた場所に尾張藩が1608年に開いた町で、街道を行く旅人に絞り染めを売って大きくなりました。

名鉄有松駅を降りて数分で、江戸情緒の残る通りに入れます。2016年に重要伝統的建造物群保存地区に選ばれ、2019年には日本遺産にも認定されました。

屋根に鍾馗様を掲げた商家があり、絞りの実演を見られる会館があり、手ぬぐいを染める体験まであります。もう少し先へ延ばせば、今川義元の最期の地とされる桶狭間古戦場公園にも、東海道の宿場だった鳴海宿にも届きます。

目次

有松のポタリングは旧東海道の約800mが軸で、桶狭間を加えると約4.1km

古い町並みが残るのは、ゆるやかに曲がった旧東海道の約800mです。有松・鳴海絞会館を中心に、街道は東西へのびています。

街道沿いには、町並みを歩くときの目印のひとつになる有松一里塚、有松山車会館、瑞泉寺が点在し、カフェや食事処、土産物屋も集まっています。

距離を延ばしたい人向けには、名古屋市が約4.1kmのコースを案内しています。有松の町並みと桶狭間古戦場をつないで回る道のりです。名古屋市緑区の公式サイトでは、散策マップも見られます。

2026年11月28日(土)に有松駅集合の無料ウォークを開催

有松周辺の史跡を巡る催しとして、「旧街道散策ウォーク 旧東海道有松周辺 史跡・旧跡巡り」があります。2026年11月28日(土)の10:00から12:00に開催される予定で、有松駅に集まって約1.5kmを歩きます。参加は無料、定員は30名で、先着順の受付です。

絞りの町並みは耕地の少ない土地の副業から生まれた

有松の絞りは、田畑だけでは暮らしを立てにくい土地の副業として始まりました。慶長13年(1608年)に町がつくられたものの、耕地が少なく、茶屋の集落として稼ぐにも限界があったそうです。そこで尾張藩が奨励し、住民が絞染めを工夫しました。

町の位置づけは**間の宿(あいのしゅく)**でした。間の宿とは、東海道のような主要街道で宿場と宿場のあいだに置かれた休憩用の場所を指します。正式な宿場には数えられず、泊まることもできませんでした。宿場どうしが遠い区間や峠越えのような難路がある区間で、休みたい旅人の需要から生まれたとされています。名古屋市内で当時の様子をいちばんよく残す場所が、この有松だとされています。

竹田庄九郎の手ぬぐい「九九利絞」が有松絞りの始まり

始まりとして語られるのは、竹田庄九郎がつくった豆しぼりの手ぬぐいです。慶長年間(1596〜1615年)に名古屋城の築城で来ていた人から絞りの技法を教わり、「九九利絞(くくりしぼり)」の名で売り出したといいます。庄九郎は、町へ最初に移り住んだ人物とも伝わります。

尾張藩の後ろ盾も大きなものでした。藩は絞りを特産品として保護し、庄九郎を御用商人に引き上げます。この保護と取り立てが発展の礎になったとされます。

買い手になったのは東海道の旅人でした。絞りの手拭や浴衣が評判を呼び、町も絞染めと一緒に栄えていきます。

歌川広重の浮世絵に描かれた有松絞り

往時のにぎわいは、北斎や広重の浮世絵で確かめられます。鳴海宿を題材にした浮世絵には、次のものがあります。

作品名制作年・所蔵など
東海道五十三次之内 鳴海 名物有松絞天保4年から5年(1833〜34年)頃の作品。シリーズの41番目にあたる横判の錦絵
五十三次名所図会「鳴海 名産有松しぼり店」静岡市東海道広重美術館が所蔵
五十三次名所図会[竪絵東海道] 鳴海安政2年(1855年)制作の竪絵。版元は蔦屋吉蔵

今の家並みは1784年の天明の大火より後に建った

いま目にする家並みは、1784年(天明4年)の天明の大火より後の建物が中心です。この火事で村のほとんどが焼けましたが、尾張藩の援助もあって、20年ほどでほぼ立ち直ったと伝わります。

再建では火への備えが重んじられました。服部家住宅の塗籠造や、梁の上に立てた短柱を見ると、当時の人たちがどれほど火事を警戒していたかがわかります。

もっとも、塗籠造に瓦葺という町屋が大火の直後にそろったわけではないようです。財力のある一部の絞商が、近世から近代にかけて少しずつ建てていったという見方があります。

大火後の建物は間口が広く、ゆったりと並ぶのが特徴です。道路側には瓦屋根や庇、漆喰の壁が続き、絞商の主屋に加えて土蔵や門、塀も数多く残っています。凝ったつくりの絞商の豪壮な屋敷に諸職の町家が混ざる、その並び方が、重要伝統的建造物群保存地区の選定で評価されました。

重要伝統的建造物群保存地区と日本遺産の違いは対象と時期

有松は2つの枠組みで評価を受けています。

項目重要伝統的建造物群保存地区日本遺産
日付2016年(平成28年)7月25日に選定2019年(令和元年)5月20日に認定
対象面積約7.3haの町並み「江戸時代の情緒に触れる絞りの産地 ~藍染が風にゆれる町 有松~」というストーリー
内容選定基準は「伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの」絞りの暖簾が藍色の空の下で揺れる古い商家の景観と、今に残る江戸時代の浮世絵のような町並みを紹介
初めての例大都市の街道沿いの町並みとして初。東海道沿いでは三重県亀山市の関宿に次ぐ選定名古屋市で初。愛知県内の地域型でも初

有松の岡家住宅は間口が最大で一般公開は土曜と日曜のみ

岡家住宅は、江戸末期の建造と推定される大邸宅です。主屋の間口は有松の伝統的建造物の中でいちばん広く、2階は塗籠造に虫籠窓という組み合わせになっています。連子格子やなまこ壁も見どころです。一般公開は土曜と日曜に限られます。

棚橋家住宅は、有松を代表する絞商の大井桁屋の建物です。屋根に掲げられた鍾馗様が目印で、写真を撮る場所としても知られています。

服部家住宅(井桁屋)は豪商の邸宅です。井桁屋は創業約200年とされ、この建物はフォトスポットとしても挙げられています。竹田家住宅は、絞り商の建物として有名です。

うだつは隣家との境の袖壁、虫籠窓は通気の窓が起源

有松の建物の特徴は、卯建を設けた和瓦の屋根、塗籠造、虫籠窓です。

**うだつ(卯建)**とは、町家の妻側に設けた袖壁のことです。隣の家と並んで建つ町家でも、屋根のけら場を隣家に出さずに納められるため、限られた敷地を無駄なく使えたわけです。土を分厚く塗った壁に瓦の小屋根を組み合わせると、火を防ぐ役目も果たしたとされます。富の象徴として家紋を入れた例や、鬼瓦を載せた例も見られます。

**虫籠窓(むしこまど)**は、町家の厨子二階にある、虫籠格子を持つ窓です。もとは風を通すために開けた窓だったと考えられ、のちに漆喰で塗って火に強いつくりへ変わりました。格子のつくりは、木の棒に縄を巻いて並べ、その上から漆喰をかけたものです。虫を入れる籠に似ているのが名前の由来だそうです。

有松絞りの括り方は百数十種類ともいわれ、有松で多かったのは三浦絞

国の伝統的工芸品である有松絞りの括り方は、約70種類とも百数十種類ともいわれます。蜘蛛絞(くもしぼり)や嵐絞(あらししぼり)、雪花絞(せっかしぼり)はその一部です。

なかでも古くから広い範囲で続いてきた手括りは、巻上絞と三浦絞、鹿の子絞です。かつての絞り染めの二大産地を比べると、有松で多くつくられたのは三浦絞り、京都で多くつくられたのは鹿の子絞りだったとされます。有松・鳴海絞りの発祥を三浦絞に求める説もあります。

手間のかかる技法の例が鹿の子絞です。一粒ずつ括っていくため、全体に施す総鹿の子だと、製造問屋の話では1反の仕上げに7から8か月を要するそうです。

一方、簡単な柄なら帽子絞りがあります。柄になる部分を白く残す絞り方です。平縫い絞りは、絞る部分を針と糸で縫いつけて絞り上げます。

板締め絞りでは、折った生地を板2枚ではさみ、紐をかけて縛ってから染めます。この技法を中心に手ぬぐいをつくる店もあって、人気の品には三重県の伝統工芸品である「伊勢木綿」が使われています。やわらかい生地で、洗いを重ねるほど風合いが増すのが売りのようです。

絞り体験は事前予約が必要で、ハンカチは1,800円

絞り体験は事前予約が必要です。絞り染めのほか、絞り着物の着付けも体験できます。ハンカチ、テーブルセンター、Tシャツの料金には、材料費と送料が含まれています。愛知県の観光サイトAichi Nowに載っている料金は次のとおりです。

体験の内容料金
ハンカチ1,800円(小中高生は1,600円)
テーブルセンター2,800円
Tシャツ4,500円から5,500円
手ぬぐい、ガーゼハンカチ(土曜・日曜)大人2,500円、小中高生2,300円、幼児2,200円

料金は改定されることがあるので、申し込み前に最新の情報を確かめておくと安心です。

有松・鳴海絞会館の入館料は大人300円で定休日なし

有松・鳴海絞会館の開館時間は9:30から17:00で、絞りの実演を見られるのは16:30までです。決まった休みの日は設けていませんが、年末年始と臨時の休館があります。大人は300円、小中高生は100円で入館できます。

鳴海宿へは有松一里塚の前を通り高架下をくぐる

ポタリングで鳴海宿まで行く場合の道順は次のとおりです。まず有松一里塚の前を抜け、自動車道の高架の下をくぐります。その先に立つ平部町の常夜燈が、鳴海宿の東の入口です。そのまま進めば、旧鳴海宿の町中に入ります。

一里塚そのものは、慶長9年(1604年)に徳川家康が息子の秀忠に命じて築かせたものです。江戸の日本橋を起点に、全国の街道沿いに1里(約4km)ごとに、一対の塚を道の両側に盛り、榎などを植えました。旅人は道のりの目安にし、木陰で体も休めたそうです。明治に入ると多くが壊され、国の史跡に指定されている一里塚は、現在全国で17か所です。

鳴海宿が宿駅になったのは、東海道が定められたのにあわせた慶長6年(1601年)のことです。町は街道に沿って西の丹下、北浦、花井に始まり、本陣を置いた根古屋などを通って東の平部まで、1.8kmにわたって続いていました。寛文年間(1661〜73年)の戸数は533戸でした。旅籠は68軒あり、日本橋からの距離は340.5kmです。

鳴海宿の史跡には、鳴海宿高札場、曲尺之手(かねじゃくのて)、成海神社、笠寺観音、笠寺一里塚があります。

鳴海宿の高札場は2009年に約70m北へ復元

高札場とは、幕府や藩が大事な法令を掲げて人々に伝えた施設です。鳴海宿では正徳元年(1711年)に、宿場の中央にあたる東海道と鳴海駅前通りの交差点の東北角に置かれました。

いま見られるのは、2009年(平成21年)に復元された高札場で、場所は元の位置から約70m北の歩道上にあるポケットパークです。掲げられていた制札8枚は名古屋市博物館が保管していて、なかでもキリシタン禁制の正徳高札は貴重な品とされています。

桶狭間古戦場公園は名鉄有松駅から徒歩約20分で駐車場はなし

有松から足をのばせる場所のひとつが、名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園です。名鉄有松駅から歩くと約20分かかり、公園に駐車場はありません。

今川義元が討ち取られた最期の地とされる場所で、公園として整ったのは合戦から450年目にあたる2010年でした。義元の墓標の「駿公墓碣」のほか、園内には義元の墓碑、馬つなぎのネズの木、義元首洗いの泉があります。織田信長と今川義元の銅像も並びます。

園内をジオラマにして、合戦の場面ごとに動画で解説する展示もあります。桶狭間古戦場観光案内所ではガイドの紹介を受けられ、甲冑の試着も体験できます。

有松山車まつりは毎年10月第1日曜で、会場周辺に駐車場はない

有松の秋の行事が、毎年10月第1日曜に行われる有松山車まつりです。有松の氏神である有松天満社の秋季大祭で、名古屋市の無形民俗文化財に指定されています。天満社が現在地へ移ったのは、寛政3年(1791年)とされています。

当日は、布袋車、唐子車、神功皇后車の3輌の山車が、有松の東海道を曳かれます。見どころは2つで、山車の方向転換と、山車の上でからくり人形が見せる演技です。夜になると山車に提灯が灯ります。

会場周辺に駐車場はありません。公共交通機関の利用が前提で、最寄り駅は名鉄有松駅です。

有松山車会館には、有松の山車が毎年交代で展示されています。

有松の見どころは旧東海道の約800mにまとまっている

有松のポタリングは、名鉄有松駅から旧東海道の約800mに入るところが出発点です。通り沿いで絞りの歴史と商家の建物を見て、時間があれば桶狭間古戦場公園や鳴海宿へ足をのばせます。

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