千葉の大多喜で城下町を巡るポタリング|房総の小江戸を約4.2km

当ページのリンクには広告が含まれています。

大多喜の城下町は、スピードも距離も競わずに自転車で寄り道しながら街を楽しむ、ポタリングに向いた町です。千葉県の房総半島の中ほどにある夷隅郡大多喜町には、丘の上の大多喜城と、江戸時代から続く商家や酒蔵、旅籠、神社が残り、見どころが歩いて回れる範囲に集まっています。いすみ鉄道の大多喜駅前でレンタサイクルを借りられるので、自分の自転車がなくても電車で来てそのまま走り出せます。

大多喜には「房総の小江戸」という呼び名があり、通りを進むとタイムスリップしたような気分になる町並みが続きます。

目次

大多喜の城下町を自転車で巡る起点は駅前の観光本陣

自転車で回るなら、最初に向かう場所は大多喜駅の目の前にある「大多喜町観光本陣」です。町の観光案内所で、城下を散策するための案内をしてくれるほか、レンタサイクルや人力車の受付、お土産の販売も担っています。町の銘菓や酒、工芸品もここで揃います。

観光本陣の住所は千葉県夷隅郡大多喜町大多喜270-1です。開いているのは9時から17時までで、12月29日から1月3日までの年末年始は休みになります。

レンタサイクルの料金や用意されている台数、予約が要るかどうかは、時期によって変わることがあります。

大多喜駅から大多喜城までは歩いて約15分

大多喜駅には、大原駅から上総中野駅までを走るいすみ鉄道が停まります。大多喜城へは、この駅から徒歩で約15分かかります。

城下町のモデルコースは約4.2kmで、自転車なら寄り道に時間を回せる

城下町を一回りするモデルコースは、距離が約4.2kmで、歩くと約1時間23分かかります。大多喜駅を出発し、博物館、夷隅神社、大屋旅館、渡辺家住宅などを巡る流れです。同じ道を自転車で走れば移動にかかる時間が短くなるため、浮いた時間を資料館の見学や、酒蔵と和菓子店での寄り道に回せます。

鉄道と自転車を組み合わせた回り方は、JR東日本のモデルコースにも入っています。国吉駅からいすみ鉄道に乗って大多喜駅で降り、駅でレンタサイクルを借りて大多喜ハーブガーデンへ向かいます。そこから城下町を散策し、最後は大多喜駅へ戻ります。

大多喜城は1590年に本多忠勝が入った譜代大名の居城

大多喜城は、1590年に徳川四天王のひとりである本多忠勝が入城し、それ以降は譜代大名の居城になった城です。始まりは大永元年(1521年)で、築いたのは真里谷信清と伝えられています。信清は小田喜武田氏の祖とされる人物です。16世紀前半には武田氏(小田喜武田氏)が城に入りました。

本多忠勝は生涯で五十数回の合戦に出たとされる武将

徳川四天王とは、家康のもとで江戸幕府の土台を固めた4人の武将、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政のことです。呼び名の由来は仏法を守る四神とされ、持国天、増長天、広目天、多聞天がそれぞれ東、南、西、北を守っています。4人はいずれも三河や遠江の出身で、譜代の家臣団の中心を担いました。

大多喜に入った本多忠勝は、生涯で五十数回の合戦に出陣したとされる武将です。その武勇は敵の側からも高く評価されていました。関ヶ原の戦いのあとは、伊勢国桑名へ移っています。

譜代大名は関ヶ原の戦いより前から徳川方にいた大名

江戸時代には、徳川将軍とどういう間柄にあるかで、大名が親藩と譜代、外様の三つに区分されていました。徳川家の子弟が大名になった藩が親藩で、尾張、紀伊、水戸の御三家もこの区分に入ります。譜代は、関ヶ原の戦いより前から徳川方に仕えていた家臣が大名になったものです。外様は一門でも譜代でもない大名で、徳川氏に従ったのが関ヶ原の戦いのあとでした。

本丸跡の博物館は大人200円で、展望広場から城下町を見渡せる

本丸があった場所には、3層4階の鉄筋コンクリート造りで、城郭の姿をした歴史博物館が建っています。施設の名前は千葉県立中央博物館大多喜城分館です。土地そのものも「上総大多喜城本丸跡」として、都道府県が指定する県指定史跡になっています。展望広場に立つと、大多喜の城下町を見渡せます。

観覧料は大人200円、高校生と大学生は100円です。中学生以下と65歳以上の方、障害者手帳などを持っている方は、本人と介助者1名まで無料になります。開館時間は9時から16時30分までで、最終入館は16時、休館日は月曜日です。施設の改修で休館を知らせていた時期もあったので、出かける前に開館しているかを確かめてください。

大多喜の呼び名「房総の小江戸」は正式な認定ではない

「小江戸」は、江戸のように栄えた土地や、江戸時代の雰囲気が残る町を表す言葉で、正式な認定や定義はありません。大多喜についた呼び名は「房総の小江戸」で、昔をしのばせる住宅や酒造、旅館が並ぶ城下町の景観が今も残っています。

城下町の文化財は外観を見学する建物が中心

大多喜の城下町で目を引く古い建物のうち、渡辺家住宅と大屋旅館は内部を見学できません。自転車を止めて、通りから外観を味わう場所です。

渡辺家住宅は1849年築の豪商の家で国の重要文化財

渡辺家は豪商で、江戸時代には大多喜藩の御用商人を務めました。屋号は「穀家」です。藩に献金し、御用金も扱う上層の商家でした。今の建物は嘉永2年(1849年)に建てられ、城下町の表通りに面した主屋は2階建てで、1階が店舗として使われていました。茅葺だった屋根は1934年に桟瓦葺へ改められましたが、それ以外の構造部分は建てた当時のまま残っています。国の重要文化財で、今も個人の住まいです。

建てられた年は、棟札からわかりました。棟札(むなふだ)とは、家を建てる際に棟の上などへ納める木札のことです。いつ建てたか、施主は誰か、大工は誰かが書き込まれます。上棟のときに限らず修理の際に納められることも多く、建物の年代を知る有力な手がかりになります。

御用商人は、江戸時代に幕府や藩、宮中へ品物を納めることを許された商人や業者で、一般の商人より格上と見られていました。数の限られた特権的な存在で、町人の身分でありながら名字を名乗って太刀を帯びる「苗字帯刀」を許される場合もありました。御用金とは、お金が足りないときに幕府や藩が町人や農民へ臨時に納めさせた金銀のことです。なかば強制的に割り当てられたもので、一種の公債とも説明されます。渡辺家がこの御用金を扱っていたことから、大多喜藩と商人の結びつきがうかがえます。

大屋旅館は江戸時代から続く旅籠で国の登録有形文化財

大屋旅館は、江戸時代から旅籠として営業を続けてきた旅館です。国の登録有形文化財です。

旅籠(はたご)とは、食事付きで泊まれる一般の宿のことです。言葉のもとは、馬に与える飼料を入れておく籠でした。それが旅人の食糧入れ、さらに宿屋の食事という意味へと移っていきました。主に江戸時代の宿場町で営業していた宿がこう呼ばれていました。

豊乃鶴酒造は1781年から1788年ごろ創業の造り酒屋

豊乃鶴酒造の創業は、天明元年から8年(1781年から1788年)ごろとされています。国道に面した母屋が、国の登録有形文化財になっています。酒造りを江戸時代から続けてきた蔵で、房総の小江戸らしい町の雰囲気をつくる建物のひとつです。

重要文化財は「指定」、登録有形文化財は「登録」で決まる

渡辺家住宅と、大屋旅館や豊乃鶴酒造の母屋とでは、文化財としての制度が異なります。二つの違いは次のとおりです。

項目重要文化財登録有形文化財
決まり方指定登録(文部科学大臣が文化財登録原簿に記載し、官報に告示)
対象有形文化財のうち重要なもの。そのなかで世界の文化から見て特に価値が高いものは国宝重要文化財に入らない有形文化財で、特に保存と活用の手当てが要るもの

登録有形文化財の制度は、1996年の文化財保護法改正で生まれました。消滅の危機にある、主に近代の建造物を後世へ受け継ぐことが目的です。原則として建設から50年を過ぎたものが対象になります。決定の手続きは二つとも同じで、文部科学大臣の諮問に文化審議会が答申を出す形をとります。

商い資料館では江戸時代の商人の暮らしを無料で見られる

商い資料館は入館無料の歴史資料館で、展示の中心は江戸時代の商人の暮らしの再現です。建物は土蔵づくりの商家を改修したもので、1階は帳場机や銭箱、2階は職人の仕事道具や日用道具の展示です。裏手に回ると日本庭園もあります。開館時間は9時から17時までで、大多喜駅から歩いて5分ほどの場所にあります。

江澤家は明治9年に建てられた蔵造りの住まい

江澤家の住居は蔵造りの重厚な建物で、建築は明治9年です。かつては「釜屋」という金物店を営んでいました。蔵造りの町家の姿を見られる建物です。

土蔵造りは、火事への強さを重く見た伝統的な建築の工法で、町家にも多く使われました。江戸では1657年の大火のあとに発達したとされています。土壁を厚く塗り重ね、太く頑丈な構造にして、軒裏まで漆喰で塗り込めるため、一般の建物より火や地震に強いとされてきました。窓や出入口のまわりに段状の「掛子塗り」を施し、外の火を入りにくくする工夫もあります。

町家は、商人や職人が住まいと店を兼ねた建物です。間口の幅で税が決まることが多かったため敷地は細長く、敷地の中に土蔵と裏庭を持つのが一般的でした。江澤家の住居も、この系譜に連なる建物です。

夷隅神社は歴代の大多喜城主があがめた縁結びの神社

夷隅神社は、歴代の大多喜城主から崇敬を集めた神社です。建物は江戸時代末期のものと伝えられています。縁結びの神として知られ、参拝は自由にできます。

城下町の寄り道は明治38年創業の和菓子店ととんかつの定食

甘いものが欲しくなったら、和菓子店の「御菓子司ふくだや」があります。明治38年(1905年)から続く店で、城下町を回る途中のひと休みに立ち寄れます。

昼ごはんの候補は二つあります。大多喜町久保の「とんかつ亭有家」は、昼の予算が1,000円から1,999円ほどの店です。肩ロースの定食は量がたっぷりで、肉が柔らかくジューシーだと好評です。もう一つの「宿と食事 ローブン」は古民家を活かしたビストロで、ハンバーグランチなどを出しています。

どちらの店も、営業日や営業時間が変わることがあります。

大多喜の中心部は大きな坂が少なく、ハーブガーデン方面は坂を見込む

城下町の中心部だけを回るなら、大きな坂はあまりありません。ただし町の周りには起伏があり、ハーブガーデンなど町の外まで足を延ばすときは、坂がある前提で余裕を持った計画を立てると安心です。

サイクリング用の坂のデータを集めたサイトには、大多喜周辺の坂が次のように載っています。どの数値も、利用者が計測したデータから出した目安です。

坂の名前全長平均勾配最大勾配
大多喜街道の坂約1.6km5.1%9.6%
大多喜里見線の坂約4.7km4%27.5%
Wellcome大多喜の坂約0.95km3.5%-

大多喜街道の坂は、標高差が約82mあります。

城下町の散策とは別に、e-MTBで山あいを走る体験もある

電動アシスト付きのMTB(e-MTB)で走る体験も、大多喜町にはあります。城下町の散策とは違い、山あいの自然の中を走る楽しみ方です。

また、SDGs大多喜学園のMTBは、1人あたり1,000円で利用できると紹介されました。

大多喜の城下町は駅前で自転車を借りて回るのが手軽

大多喜の城下町は、大多喜駅前の観光本陣でレンタサイクルを借り、約4.2kmのモデルコースを軸に寄り道を重ねていく回り方が合う町です。本多忠勝が1590年に入った大多喜城の博物館から町を見渡し、重要文化財の渡辺家住宅や登録有形文化財の大屋旅館、豊乃鶴酒造の母屋を外から眺め、無料の商い資料館で商人の暮らしをのぞけます。中心部は大きな坂が少ないものの、町の外へ出るなら坂を見込んでおく必要があります。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次