東京都葛飾区の柴又は、江戸川の東岸にある下町で、自転車でのんびり巡るポタリングに向いた土地です。帝釈天の参道の店並び、江戸川の河川敷、対岸へ渡る矢切の渡しが、自転車ならひと続きで回れる距離に収まっています。映画「男はつらいよ」の舞台になった町なので、寅さんゆかりの場所も同じ範囲に集まっています。
京成柴又駅の改札を出てから帝釈天までは、歩いても約5分しかかかりません。駅前の寅さん像から歩き出すと、参道には草団子の店が並び、帝釈天の境内を過ぎた先が江戸川の土手です。
寺の歴史をたどるもよし、川魚料理の老舗で昼を食べるもよし、渡し舟で千葉県側へ渡ってもかまいません。

柴又のポタリングは寅さん記念館のレンタサイクルセンターが起点
自転車を持っていない人は、柴又公園の敷地に入っている寅さん記念館レンタサイクルセンターで借りられます。京成柴又駅から歩いて約8分、北総線の新柴又駅からは約12分の場所にあり、借りてすぐ江戸川河川敷のサイクリングロードに出られます。
ポタリングは、行き先を前もって決めず、散歩をする感覚で自転車をゆっくり走らせる遊び方を指します。どれだけの距離をどんな速さで走るかに、はっきりした基準はありません。疲れない程度にとどめるのが目安で、略して「ポタ」と呼ぶ人もいます。ことばの由来は、英語の「potter」(うろうろ歩き回るという意味)だとされ、1950年代にはすでに使われていたようです。
サイクリングという語は自転車で走ること全体を指し、ポタリングはその中の一つの楽しみ方です。坂道を上り続けるヒルクライムや遠くまで走り通すロングライドも、同じくサイクリングに含まれます。ポタリングなら、途中で気分が変わったら距離を延ばしてもいいし、くるりと向きを変えて引き返してもかまいません。
江戸川河川敷のサイクリングロードは水元公園から柴又までの区間が定番
江戸川沿いのサイクリングコースは全長約60キロから65キロあり、走り慣れた人なら2時間ほどで端から端まで走り切ってしまいます。そこまでの距離は要らない、都内だけで短く楽しみたいという人には、葛飾区の水元公園を出発して柴又で走り終える組み合わせがよく選ばれます。道は江戸川区から柴又を通り、水元さくら堤を経て水元公園までつながっています。
柴又公園は、帝釈天の参道を抜けた奥にある総合公園です。寅さん記念館や山田洋次ミュージアム、山本亭もこの公園の区域に入っています。公園はスーパー堤防の上に造られていて、江戸川河川敷と一体で水害に備える堤防の役目も果たしています。水と緑に恵まれた憩いの場です。
帝釈天の境内は5時から20時、矢切の渡しは10時から16時ごろ
柴又で立ち寄る主な場所の開いている時間と料金を、下の表にまとめました。自転車で回る順番を考えるときの目安にしてください。
| 場所 | 時間 | 料金・休み |
|---|---|---|
| 帝釈天の境内 | 5時〜20時 | 参拝は無休 |
| 彫刻ギャラリーと邃溪園 | 9時〜15時30分ごろ(閉館16時) | 2か所共通の拝観料 |
| 矢切の渡し | 10時〜16時ごろ(時刻表はなく、乗客がある程度集まり次第出航) | 乗船料200円。冬季(12月〜3月上旬)は土日祝日、1月1日〜7日、帝釈天の縁日のみ運航。荒天時は運休 |
| 山本亭 | 9時〜17時(入場は閉館30分前まで) | 一般100円。毎月第3火曜日が休みで、12月は第3火曜日に続く水曜日と木曜日も休み。休みが祝日にあたるときは翌日が休み |
寅さん記念館と山田洋次ミュージアムには、2館を両方見られる共通入館券があります。以前の料金は、大人が500円、中学生以下が300円でした。
京成柴又駅前の寅さん像とさくら像はどちらも吉田穂積氏の作品
駅前には、旅に出る寅さんと、それを見送る妹のさくらの像が立っています。寅さん像が建てられたのは1999年(平成11年)です。寅さん像の目線の先にさくら像が加わったのは、2017年(平成29年)3月でした。2体とも吉田穂積氏が手がけた像です。
駅そのものも古く、開業は1899年(明治32年)12月17日で、当時は帝釈人車鉄道の駅でした。帝釈人車鉄道は、現在の京成金町線のもとになった鉄道です。瓦屋根を思わせる駅舎は映画の世界になじむよう考えて造られたもので、その点を評価されて「関東の駅百選」に入りました。
柴又の帝釈天は1629年に創建された日蓮宗の寺院
帝釈天の正式な寺名は経栄山題経寺といい、1629年(寛永6年)に日蓮宗の寺として開かれました。やがて庚申の日になると参詣する人々が集まる寺としてにぎわいました。全国に名前が広まったのは、1969年(昭和44年)に始まった映画「男はつらいよ」がきっかけです。
寺の通称にもなっている帝釈天は、古代インドの神話に登場する代表的な神インドラを、仏教が守護神として迎え入れた存在です。名前は梵語のシャクラ・デーヴァーナーム・インドラを訳したものとされ、仏典では「釈提桓因」と書かれることもあります。須弥山のいちばん上にある喜見城に住む天界の王で、インドの創造神ブラフマーに由来する梵天と並び、天部の中で最も位の高い神とされます。仏法を守る善神として梵天と一緒に祀られることが多く、釈迦とのつながりも深いと伝わります。密教では十二天のうちの一尊として、東の方角を守る役目を受け持ちます。
この寺が属する日蓮宗は、日蓮を開祖とし、法華経をよりどころとして「南無妙法蓮華経」と題目を唱える宗派です。
二天門は1896年に坂田留吉棟梁が建てた門
二天門は、1896年(明治29年)に坂田留吉棟梁の手で建てられました。日光東照宮の陽明門を手本にしたと伝わる門で、近づいて見上げると、帝釈天の使いとされる猿があちこちに彫り込まれています。
彫刻ギャラリーでは法華経の説話を彫った10面が見られる
帝釈堂の内殿は、外側に装飾彫刻が施されています。見学用の通路が設けられ、「彫刻ギャラリー」として誰でも見学できます。内殿を埋める彫刻は仏陀の生涯や経典の内容を表したもので、何人もの彫刻士が1915年から1929年にかけて完成させました。中でも見どころとされるのが、法華経に出てくる代表的な説話を題材にした10面の彫刻です。帝釈堂は第二次世界大戦で焼けずに残ったので、こうした彫刻もそのまま今に伝わっています。
邃溪園は2023年に大客殿とあわせて庭園全体が指定名勝になった
内殿から廊下を伝っていくと、庭園の邃溪園に出ます。廊下には軒がついているので、雨の日でも濡れずに庭を眺められます。
邃溪園を手がけたのは、関東の造園師、永井楽山です。もともとは大客殿に座って眺めることを前提にした座観式の庭として造られ、大客殿と庭は1929年に同時に竣工しています。1965年に大がかりな改修が始まって1968年に完成し、1984年には庭を囲む回廊ができて、いろいろな角度から庭を楽しめるようになりました。大客殿は祖師堂の裏にある総檜造りの建物で、2023年3月に名勝の指定に追加され、これで庭園全体が指定名勝になりました。
庚申の日の縁日は60日に一度、年6回ほど開かれる
帝釈天の縁日は庚申の日にあたり、60日ごとにめぐってくるので年に6回ほどあります。縁日の日は境内が大勢の参拝客で埋まります。
庚申の日が縁日になったのは、1779年(安永8年)に本堂(祖師堂)を直していたとき、行方が分からなくなっていた板本尊が見つかり、その日がたまたま庚申の日だったからです。宗祖の日蓮が自分で彫ったとされるこの板本尊が特別に開帳されるのは、庚申の日です。この日に特別祈願を申し込んだ人には、非売品の帝釈天御符が授けられます。
縁日の前の晩は「宵庚申」と呼ばれ、夜のお参りも人でにぎわいます。前日には纏(まとい)を奉納する行事があり、参道の旦那衆が交代しながら、駅から帝釈天までの道で纏を振ります。二天門の前には「庚申」と書かれた大きな提灯も下がり、参道の夜を彩ります。
年の初めにも行事があり、1月1日から7日までは祝祷会が開かれます。その年一年を元気に過ごせるよう、そしてさまざまな願いがかなうよう祈る法要です。
庚申信仰は庚申の夜を眠らずに過ごして長生きを願う信仰
縁日の背景にある庚申信仰は、庚申の夜に眠らず起きていることで、健康で長生きできるよう願う信仰です。人々が集まって一晩を寝ずに過ごす行事は「庚申待ち」または「守庚申」と呼ばれました。
もとになったのは中国の道教から来た三尸説です。人の体の中には上尸、中尸、下尸という三尸の虫がいて、庚申の夜に体を抜け出して天に昇り、その人の罪を天帝に報告します。天帝は罪の重さを見て寿命を縮めるので、人々は寝ずに起きていて虫が出ていかないよう見張ったわけです。
庚申待ちは庚申講という集まりを作って行い、年6回を3年続けてやり遂げると、供養として庚申塔を建てたといいます。日本へは平安時代に入ってきて、まず貴族のあいだで行われました。室町期には庶民にも広がり、仏教や神道と混ざり合いながら、江戸時代にいちばん盛んになりました。庚申塔には「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿がよく彫られています。この三猿も、三尸に悪事を告げ口させないという意味と結びつけて語られます。
纏は江戸時代に火消組の目印になった
縁日の前日に旦那衆が振る纏は、戦国時代には敵と味方を区別するための幟や馬印を指すことばでした。江戸時代に入ると火消組の目印という意味に限られ、町火消が組の象徴として使うようになります。
火事が起きると、纏持ちが現場近くの屋根に上って纏を振り、ほかの組に火事の場所を知らせて呼び集めました。町火消には頭取、頭、纏持、梯子持、平人、人足という階級があり、纏の形は組ごとに違っていました。今では儀式の場で使われるだけになり、正月の出初式などで、木遣りやはしご乗りと一緒に目にできます。
帝釈天参道の名物は草団子と川魚料理
参道を歩いて目につくのは、草団子の店と川魚料理の老舗です。どちらも、江戸川で採れたものや獲れたものから生まれた名物です。
草団子は江戸川の土手で摘んだよもぎから始まった
草団子が柴又の名物になったのは、江戸川の土手で採れたよもぎを使い、農家が参拝客にふるまったのが始まりとされます。昔の江戸川の土手には、質のいいよもぎがたくさん生えていました。
参道の「とらや」は、1887年(明治20年)に「柴又屋」の名前で店を開き、創業のころから草団子を売ってきました。「髙木屋老舗」は明治元年に創業した草だんごの店として知られています。草団子と並んで、手焼き煎餅もおみやげの定番です。
よもぎは古くから邪気を払う草とされ、節句などの行事で食べられてきました。草餅の由来には、女の子の初節句に、勢いよく育つよもぎにあやかって元気に大きくなるよう願いをかけたという説があります。米粉の餅は伸びが足りないので、草の繊維をつなぎに使って補ったという説もあります。
川魚料理は川千家の鯉のあらいとゑびす家の鯉こく
江戸川では昔、うなぎや鯉がたくさん獲れました。そのため柴又には、川魚料理を出す老舗の料亭がいくつもあります。
川千家は安永年間に創業したとされる店で、鰻重に加えてひつまぶしも出しています。鯉料理もあり、東京ではあまり見かけない鯉のあらいや、鯉のうま煮を味わえます。鯉のあらいとは鯉の刺身のことです。
ゑびす家は参道の入口近くにある店で、看板料理は鯉こくです。鯉こくは鯉を味噌仕立てにした汁物で、ゑびす家では赤味噌をベースにした煮汁で2日間じっくり煮込み、骨まで食べられるくらいやわらかくしています。この店は、もともと草団子屋だったのが明治期に料亭へ商売替えしたと伝わります。
鯉は祝いの席で食べる習わしが各地の郷土料理として残る淡水魚で、澄んだ川で育った鯉はにおいが少なく身が締まるそうです。
矢切の渡しは柴又と千葉県松戸市の矢切を結ぶ手漕ぎの舟
矢切の渡しは、江戸川をはさんで葛飾区の柴又と対岸の千葉県松戸市矢切を行き来する、手漕ぎの渡し舟です。乗っている時間は約5分で、天候や川の流れによってはモーターを使って進むこともあります。
この渡しは、江戸時代から約380年にわたって受け継がれてきたと松戸市の観光案内が紹介しています。江戸時代は幕府の方針で川に橋を架けることが禁じられ、川を越える大切な足は渡し舟でした。川向こうに畑を持つ農民のための舟は許されており、矢切の渡しもそうした舟の一つです。
小説「野菊の墓」や、同じ名前の歌謡曲の舞台としても知られています。対岸の松戸市下矢切にある西蓮寺には、「野菊の墓」の一節を刻んだ石碑が立っています。作者は千葉県出身でアララギ派の歌人、伊藤左千夫(1864年から1913年)で、この小説は純愛を描いた作品です。石碑は地元の有志が発案し、伊藤左千夫の門弟だった土屋文明が文字を書き、1965年に建てられました。
寅さん記念館には撮影で使われた「くるまや」のセットが残る
寅さん記念館は柴又6丁目22番19号、柴又公園の地下にあり、同じ敷地内の山田洋次ミュージアムと続けて見学できます。
記念館でまず目を引くのは、団子屋「くるまや」のセットです。映画では第39作まで「とらや」という屋号でした。大船の松竹撮影所から運び込まれたもので、シリーズ全作の撮影に使われた本物が展示されています。16分の1スケールの模型では店の内部の造りまで見て取れ、2階で寝転がる寅さんの姿も再現されています。
このほか、昔の駅舎や各駅停車の列車を思わせる展示、寅さんが旅に携えた古いトランクと中に入っていた品々、それに衣装やジオラマ、名場面を流す映像コーナーがそろっています。山田洋次ミュージアムでは、映画を撮った監督についての展示を見られます。
山本亭は葛飾区の登録有形文化財になっている和洋折衷の建物
山本亭は柴又7丁目19番32号にある木造の建物で、大正末期から昭和初期にかけて建てられた和洋折衷の建築です。1988年に葛飾区のものになり、1991年から一般に公開されています。
近代の和風建築と書院造の庭園がひとつながりになるように配置されています。庭そのものは広くありませんが、奥行きを感じさせる工夫が凝らされています。洋間の「鳳凰の間」とステンドグラスも見逃せません。庭を眺められる部屋では抹茶と和菓子をいただけます(飲食代は入場料とは別です)。
書院造は、客を迎えるための上段と座敷をひとまとまりの空間として造る建築様式で、主室には床の間、違い棚、付書院が備わります。
山本亭が登録されているのは葛飾区が独自に設けた登録制度で、国の登録有形文化財制度とは別のものです。
柴又の桜は3月下旬から4月上旬、紅葉は11月下旬から12月上旬が見頃
季節ごとの景色も、柴又を自転車で回る楽しみの一つです。柴又公園では3月下旬から4月上旬にかけてソメイヨシノとシダレザクラが咲きそろい、11月下旬から12月上旬には山本亭と柴又公園の紅葉が色づきます。夕方の江戸川の土手では、低い角度から差し込む光の中に矢切の渡しの舟のシルエットが映えます。
葛飾納涼花火大会の日は柴又野球場周辺の河川敷が混雑する
7月下旬に葛飾納涼花火大会が開かれる日は、人出による混雑と交通規制があります。
第60回にあたる2026年の大会は、会場を葛飾区柴又野球場(江戸川河川敷)として、7月28日(火)の19時20分から20時30分まで行われました。打ち上げたのは約2万発で、例年は約70万人が訪れます。小雨なら決行、荒天なら中止という運営です。この年の有料指定席は、7月17日の時点で売り切れました。当日は対岸の松戸側の河川敷が一日中立ち入り禁止になり、堤防の上の通路も閉鎖されました。
葛飾柴又の文化的景観は2018年に東京都で初めて国の重要文化的景観に選ばれた
柴又の町並みは、国の重要文化的景観にも選ばれています。文化的景観は、地域の人々の暮らしや仕事と土地の風土が作り上げた景観のうち、国民の生活や生業を知るうえで欠かせないものを、文化財保護法によって保護する制度です。なかでも特に大切なものを、国が重要文化的景観として選定します。
国が「葛飾柴又の文化的景観」を選定したのは2018年(平成30年)で、東京都では初めての例になりました。令和元年10月の時点でも都内ではここだけで、全国では65件が選ばれていました。
選定された区域は、三つの「リング」から成り立っています。一つ目は帝釈天題経寺と門前の町、二つ目は寺と門前を支えてきたかつての農村部で、まわりより少し高い微高地にあたる地域です。三つ目は、大都市の近くで低地が開発されてきた歴史を伝える地域です。選定後は、区域内で現状を変えたり保存に影響する行為をしたりする場合、文化庁長官への届け出が求められます。保存計画は葛飾区が2018年3月に策定し、あわせて整備計画づくりにも取りかかりました。








